3月号 『突撃レポート!台湾編』

【突撃レポート!台湾編】

みなさんこんにちは。
世間はウイルス問題の終息も未だ見えず混沌としていますね。
スポーツの無観客試合や相次ぐライブやイベントの中止。
そして遂には高校野球、春の選抜も中止に(泣)
高校球児だった自分は本当に胸が苦しくなります。
甲子園に行くために球児たちがどれほど努力を重ねてきたか!
たくさんのことを我慢して野球に費やしてきたか!
やっと決めた甲子園なのに…ニュースで見て涙がとまりませんでした。
ある学校の監督が生徒たちに中止を伝える場面で、
「誰も悪くない。悔しいけど、切り替えて夏を目指そう!」この言葉がグサリと胸に刺さりました。

外に行くことがまるで悪いことのような風潮に閉塞感を感じる今日この頃。
いつになれば…
一日も早い終息を願うばかりです。

そんな中ゴツプロ!は、3月1日に第五回公演『狭間の轍』を台湾は台北の地にて無事閉幕することができました。
これもひとえに関係者の皆様、ご来場頂いた皆々様のお陰です。
心より御礼申し上げます。

東京、大阪、台北と駆け抜けた2ヶ月28ステージ!
その最後となった台北公演。
訪台する直前からコロナウイルスが猛威を振るい、我々も実際に台湾に行けるのか?
公演を行えるのか?
不安な日々でした。
実際台湾に渡ってからも、日本から届く悲しいニュースの数々。
台湾でもイベントの中止が続出。
そんな中で我々ゴツプロ!が公演を最後までできたのは、徹底したスタッフの配慮でした。
安心して観られる環境作り。そして安全に公演ができるための惜しまない気配り。
まず、僕らキャスト、スタッフともに小屋入りする時に検温をし、手の消毒が徹底されました。
それを台湾スタッフが毎日紙に記入し、日々の体温の変化などもチェック。
本番前には客席を全て消毒液で吹き上げる。
できるだけの換気。
お客様の来場時も、全てのお客様の検温(熱がある方の入場はご遠慮頂く。)手の消毒。
マスク着用のお願い。
そして終演後、お客様がご退場された後にもう一度客席の消毒。
これを毎日、毎日、やってくれました。
一日2ステージの場合はもちろん、これが×2です。
できる限りの、思いつく限りのことを公演のため、お客様のためにやってくれた台湾スタッフの皆様には心から感謝しております。
もちろんこれだけで万全か?と問われると手放しに、はい!とは言えませんが、訪台して驚いたことがいくつもありました。
まず、日中25度以上の台湾でマスク着用率が驚くほど高いこと。
(帰国して日本でのマスク着用率の低さに逆にびっくりしたほど。マスクが手に入らないというのも大きな要因かもしれませんが。)
さらに、ホテルやレストランでも入り口で検温、消毒が徹底されています。
観光地などはマスクを持ってない人は入場できませんし、必ず入り口にサーモグラフィーが置いてあり、厳しいチェックを行っています。
正直、台湾と日本の対応の差をまざまざと感じました。

こういう日々の一つ一つが、強いては大きなことに繋がる気がします。
それが、演劇だったり、ライブだったり、イベントだったり、はたまた外食だったり…
個人、個人が危機感を持ち動く。
そうすることで、今よりは安心して外出でき、この閉塞感が少しは緩和するような気がします。
今公演を通して台湾の色んな対応に学ぶことが多々ありました。

今回の公演、我々にとって一生忘れられない公演となりました。
また、こうして無事に予定通りの日程で全ステージを終えられたことは奇跡だと思っています。

そして、そんな環境の中でも、今年も台湾は熱かった。
この熱気はなんだろうね。
台北公演今年三年目!
それぞれの想いも気になるとこではありますし、前回1月号の突撃取材が思いのほか好評でしたので、台湾でもやっちゃいました!

【突撃レポート!台湾編】

今回も私 泉知束がレポートしました。
日程もバラバラ、取材地もバラバラ。さて、どんな想いが聞けたのか?
1月号と読み比べてみても面白いかも。
では早速いってみましょう!!

(写真は取材時とは別に撮影しています。)

[2/26 ホテル 山野海部屋にて]
いきなり作家 竹田新さん、そして演出山野海さんを突撃!
海さんは今回残念なことに仕事があり前半戦で帰国となりました。

○三年目にして初めて途中帰国となりましたね。
「残念です。すごく残念です。
東京も大阪も全部いいけど、台湾きてどんどんみんながコツンと芝居が落ちてきて、よくなってくるから、台湾での千穐楽を見るのが一つの楽しみだからね。見られないのが本当に残念。」

○今年の台湾はどうでした?
「毎年お客さんが熱いし、今年初めてのアナンとかがすごく感動していて、それをみてるとやっぱりよかったなと思うし、お客さんと一緒になれる感覚って素晴らしいなって思ってます。」

○お芝居自体はどう変わった?
「大きくは変わらないけど、どんどんいらない間もなくなって、気持ちを作るっていうより、ただそこにいるだけの人になっていく!台湾っていうより、やはり長く公演できるってことは素晴らしいことだって毎年思います。」

○狭間の轍を生み落として、それが立体化した時に予想を超えたとこってありますか?
「たくさんあるけど、今回は豊(津軽三味線 小山豊氏)たちと一緒にやろうと決めていたから、自分の気持ちを吐露するとこや余計なセリフを敢えて書いてなくて、そんなことやったことないから分からなかったけど、いい科学反応が起きて、想像してなかった磯の匂いがしてきたり、カモメ島が見えたり、波の荒さとかの情景が浮かんできたりして、いい意味で映像っぽい感じがしたかな。」

○これって海さんが作、演出を一緒にやっているからこそでもありますよね?
「そうだね。今回は音が心情を表現していて、嬉しいことも、悲しいことも音が奏でていて、これってこれまでもあったのかもしれないけど、自分的には新しいことをやってる感覚はあったね!」

○次回もすぐやってきますけど(笑)次回作に向けて!
「実は書き始めていまして、去年から。もうね、追いかけ回されてますよ(笑)
以前はね、後ろから追いかけてきてたんだけど、今は追い抜かれちゃって前にいるのよ。
もう大変(笑)
あ、ちょっと一つ言っていい!どうしても言いたい(笑)
今回の作品で一番好きなところね。『ちんころ音頭』で、男たちがバカみたいに笑って楽しそうにしているのがものすごく好きでした!!」

○俺出てないけどそのシーン(笑)

続いてたまたま部屋に居合わせた音楽部より、小山会三代目 小山豊氏に突撃!!

○台湾どうですか?
「毎年変わらずストレートでダイレクトに返ってきていいですね!」

○台湾きて色々変わりましたよね?
「そうですね。弾いてる居場所が違うので、違うお芝居!までは言わないけど、それに近い感じがしてます。演じている役者さんがこんな顔してたとか、日本で見れなかったものが見えてくるので。」

○それによって変わりますか?
「もちろん変わります。
ラストの朝一さんのシーンとか、まるっきり見えてなかったので、ものすごく変わりましたね。」

○東京は二階で台湾きて下になりましたけど、その辺りどうですか?
「上の方が緊張しますね。上の方はマジで毎回緊張してました。」

○M0(オープニング曲)からの入りって日本と台湾は違う?
「それはあんまり感じなかったけど、静寂みたいなとこでいうと、日本の方が純粋に寒いってのもあって、みんなが寝てるシーンで「江差追分」弾くシーンはすごく好きでした。
ツーンって冷たい空気が心地よくて。
あ、ちなみに暗転では変顔してました。緊張の息抜きに(笑)」

○今回は始まる前からがっつり入ってもらいましがその辺りどうでした?
「いやー、今回はすごかったですね。
今回、漁をするシーンも唄だけだし、戦もないし、その辺省いていて、そこを自分が出す音で、大きな波に変わる日もあれば、凪いでる日もあって、それを表現できる贅沢はほんと有り難かった。
自分の中では全体通して一曲の民謡になっている気がして、すごく気持ちよかったです。
見た人みんな感想が違って、民謡の話、戦の話、漁師の話、見る人の感覚で全然違うものになっている。
この余白がすごい作品になったと思います。
さっき別の取材で聞いたんですけど、こっちの演劇は自分の感情をセリフにすることが多いらしく、それだけでも『狭間の轍』は新鮮だったと。」

(山野海)「なんか、今回は言えない感情を音楽が表現してて、音楽で表現できないものが役者にあって、役者に現せないものが照明にあって、これが全部丸くなって総合芸術になっていく気がした。」

○今回、伊藤多喜雄さんはやはりキーマンですよね?
「間違いないですね。多喜雄さんのお陰です。
多喜雄さんが「うまく唄うな!」ってよく言うじゃないですか?それがだんだんみなさん出てきたって思いました。」

○いやー、民謡って深いですね。締めとしたらあれですけど、今後ともよろしくお願いします。
「あーはい。よろしくお願いします(笑)」

続いて台湾から参加して頂いた、小山会青年部の小山清雄氏。

○今回2回目のゴツプロ!どうですか?三の糸に続いて。
他の舞台もたくさんやっている思うけど、ゴツプロ!って他と違うとこありますか?
「僕らか見て思うのは演奏者と演者さんがここまで密にやっているとこは他にないなって。」

○海外公演はどうですか?三味線だけだと海外経験もあると思うけど…
「そうですね!ありますね!」
(小山豊)「あのさ、こういうのって必要なことだけ喋ればいいわけじゃないからね。(一同笑い)」

○台湾は初?どうです?
「気温も人もあたたかいし、飯もうまいし…」

○なかなかないでしょ?あのカーテンコールとか。
「そうですね。なかなかないですね。」

○ちょっとさ、いいこととか喋ってもらっていい(笑)
(山野海)「この受け答えはハンサムな2枚目俳優の受け答えだからね!」

○日本では見ているだけだったけど、その時はどうでした?
「豊さんと小湊さん(尺八)で出来上がっていて、入る余地がないというか、出来上がったものに入るんだなって。」
(小山豊)「でもすごい勇気で、2回くらい前にすんごいアドリブを差し込んできて、僕だったらこうしますよ!みたいなアピールをしてきたんですよ。結果…全部いらなかったけど(笑)」
(山野海)「でも、いらなかったとしても豊的に嬉しくない?」
(小山豊)「いやーめちゃくちゃ嬉しかったですよ。」
(山野海)「芝居も同じだもんね。出したところからは引き算だけど、ないところは足せないからね。」

○東京、大阪もやりたかったですか?
「それは正直ありますね。日々変わってきているので、これがもっと長かったら更に面白かっただろうなと思います。」

(ここで、小山豊氏、山野、ガヤのフリートークが始まる(笑))

○清雄インタビューなのに全然喋ってないから!!!!喋って。
「はい。豊さんも小湊さんもすごく繊細なので、こんなに表現方法があるのかって、毎回勉強になります。」

(そして、色々雑談あって…)

○今後もよろしくお願いします(笑)
「よろしくお願いします!」

○44北川くらい喋らないな(笑)

この日は休演日でして、お昼の自由な時間だった為、突撃レポートというより座談会に突入(笑)
たくさんいい話を聞けました。
ってことで、このあたりですごく長くなってしまい(汗)、今回は前編ということで、来月役者中心の後編をお届けしたいと思います。
ね、来月も読みたくなるでしょ?(笑)

兎にも角にも…唐突だけど。

みんなの気持ちが一つになってなかったら…
絶対やれる!って信じてなかったら…
時期が少しでもずれていたら…
台湾スタッフの頑張りがなかったら…
そして、みなさんの応援がなかったら…

『狭間の轍』はここに完結できてなかったかも知れない?!

今はただただ…ありがとう!!

来月はこの続き!お楽しみに。

つづく…

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、
マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。

泉 知束Tomochica Izumi

1994年より、日活芸術学院俳優科で演技を学ぶ。
1996年、劇団「麦」公演で役者デビュー。
2000年、演劇ユニット「Team Chica」を旗揚げし、主宰・作・演出・主演を務めている。
また、2005年樽沢監督作品「月桂哀歌」で映画脚本を手掛け、俳優業だけに留まらず、マルチな才能を発揮している。
月刊ゴツプロ!の執筆を行なっている。